今から、40年位前までは、専用の風呂として各家庭に『内風呂』が、行き渡っていなかった。
町内ごとに必ずあった『銭湯』へ、みんな桶を持って、お湯につかりにいったものである。
その頃の銭湯は、裸の付き合いで、地域のコミュニケーションの大切な場であった。
しかし次第に各家庭に風呂が普及し、銭湯が町から消えはじめ、それとともに地域のコミュニケー
ションも少しずつ失われてきた。
風呂とは、多くは水を温めて浸かる温湯浴である。
もともと、その浴室のことを関西では『風呂』といい、関東では『湯』又は、『湯殿』と呼ぶことが多かった。
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そもそも風呂の語源には、諾説がある。
一つは、『室』→物を発酵させる閉鎖的な部屋
二つは、『湯室』→これが転じたもの
三つは、『風炉』→これは、お茶の席上で置き火を入れて、釜の掛け湯を沸かす『風炉』からきたもの。
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もともと風呂とは、ゆっくりと湯につかり、体の疲れをとる機能から発達したものである。
欧米の場合は、シャワーを浴び、体を洗う事が主目的である。
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また、『五右衛門風呂』とは、釜茹での刑に処せられたという大泥棒の名からきたものでものである。
鉄製の湯ぶねを、かまどの上に据えて、たく方式で底ぶたを踏み次めて入浴する方式。
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