和の知識
1.畳
 

 畳の語源は「たたむ」である。昔は現在のように四六時中敷いてあるのではなく、普段は重ねて日の
当たらないところに立て掛けておき、祝儀や不祝儀のときに敷くものだった。

畳を焼けさせないようにするために、障子を使い光を調節し、うす暗くさせたのだという説もあるくらいに
畳は貴重なものであった。

畳の優れている点は、日本の気候風土に合った床材兼敷物であるということと、広い部屋にも狭い部
屋にも敷き込めることができる点だ。
 
 
● 敷き方

 畳の敷き方は自由勝手にできるものではなく、畳数に合わせて形が決まっている。

以前は、祝儀・不祝儀によっても敷き方が違っていた。

また、貴重品であった畳を長持ちさせなくてはならないし、人が動きやすいようにもなっていなければな
らない。
 
 

(1)床の間に対して

 
 

 床の間に対して畳の縁を直角(床刺し)にして敷いてはならない。

その理由は、上座である床の間の前の中央に畳の縁があると見た目が悪いことと、そこに座る主客が
床の間の掛軸や生花を鑑賞する際に、座ったまま膝を滑らすことができないためである。

まず床の間と平行に1畳敷き、それから他の畳を敷いていく。
 
 
 

(2)出入口に対して

 
 

 畳の目は短い辺に平行に編んである。目に沿って動くとスムーズに動け、畳にも負担をかけない。

出入口に対しても図のように畳を置けば、負担が軽くなり長持ちする。
 
 
 

(3)畳数による敷き方

 
 

 祝儀用と不祝儀用の敷き方があるが、現在では畳を1度敷くと移動しない。

基本的に祝儀用の6畳間を基本の形とし、8畳・10畳・12畳・・・と敷く。
 
 
祝儀用の敷き方
 
不祝儀用の畳の敷き方
 
● 寸法
 

(1)平安時代の寸法

 
 

 平安時代の寝殿造住宅では、畳は身分の高い人の座るところのみに使われ、その大きさも厚みも現
在のものとは、かなり異なっている。
 
 
清涼殿で使用していた畳
 

(2)戦国時代の寸法
 
 

 鎌倉時代から畳を部屋全体に敷き詰めることが始まり、室町時代以後一般化した。

織田信長が用いた大きさは、1800mm×900mmである。

これは敵が攻めてきたときに、畳を鉄砲の弾から身を守る楯として使用するため、人間の大きさに合わせたと言われている。
 

(3)室町時代以降の寸法

 
 

 前述の織田信長の使用した大きさをもとに、東日本と西日本でそれぞれ柱の大きさを考慮しながら、畳の大きさを標準化した。

関東間・・・・・・1757×879mm
関西間・・・・・・1909×954mm
 
 

(4)その他

 
 

 戦後の高度成長期に公団住宅が多く建てられた。なるべく多くの世帯を1つの団地に住まわせるため、1部屋の大きさをそれまでの一般木造住宅よりも小さくした。畳数を減らすと人気が落ちるので、関東間よりもさらに小さい寸法の畳を使用し、畳数を合わせた。
 
公団間・・・・・・約1650×750mm
 
● 断 面
 

畳は、畳床と畳表・畳縁から成る。畳床は、乾燥させた稲藁を麻糸などで縦横に縫い固めたものである。

通常4層(6cm)からなっている。厚みが同じものならば、重いものの方が密度があるため良いものとされる。

畳表は、畳床の上に掛ける藺草の茎で作られた敷物である。藺草の産地・縦糸の種類・織り方などによって価格が決まる。

畳縁は、畳表の長手縁を藺草と直交して縁取っているものである。

絹・麻・木綿・化繊・革などが使われる。絹が一番良質とされるが、擦り減り方が激しい。

化繊が最も長持ちする。
 
 
 
● 畳 数
 

畳数は、3・4.5・6・8・10・12・・・・・・畳とある。現在では、3畳や4.5畳は物置などにしか使われないことが多く、畳を敷く必要が無くなってきている。

また、7.5畳という形を敷くことは可能だが、次のような理由からこの形は避けられている。
 
  
・切腹の間が巴形に敷いた4.5畳であり、その隣室に3畳の間を設け、そこで検死を行った。
 
・占いの1つによると凶となる。

(7.5畳を3畳と4.5畳に分け、さらに4.5畳を4畳と0.5畳に分ける。4は木星、0.5は金星を表す。2つの星が1つの部屋に入っていることと金星のほうが力が強くなっているため凶となる。)
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