家相の発祥地の中国は、その昔、東北方の民族に幾度となく侵略されてきました。紀元前200年頃、秦の始皇帝が70万の囚人と10万の農夫を動員して、あの途方もなく大きな万里の長城を築きましたが、それほどその脅威は絶えず、激しい物だったのです。

 その上、毎年シベリア・オホーツク海方面の東北の方向から襲ってくる季節風の猛烈な暴風のためにその都度、家も田畑も散々な被害を受け、多くの人々の生命が失われました。

 従って中国文化の中心であった黄河の中流域の人々にとっては、東北の方位はまさに恐るべき悪魔の方向だったのです。

 中国語で鬼というのは、仏教の言葉で悪魔のことですから、悪魔が襲ってくる東北の方向を『鬼門』と称したと伝えられています。

 また、東北の方位は、北の『陰』から、東の『陽』へ移ろうとする『陰の極』でここへ死者の精気である鬼が集まって、災厄や区悪などの不吉が起こるものと考えてこの東北の方向を『鬼門』と名付けたとも言われています。

 それらが後に日本に伝わり、江戸時代に、天海大僧正が徳川家康へ「お家断絶」を避ける方法として「変化、停止、相続」を表す方位である鬼門(北東=丑寅)の方角を、大切にせよとアドバイスする元となりました。

 そこで江戸城からみて北東に寛永寺を、南西(裏鬼門)に増上寺を設置し大切にしたのです。

 家康が鬼門を大切にした事が、段々と変化し、「鬼門は恐ろしい」「鬼門は凶方」というものになり、定着してしまったのです。

 また、丑(うし)寅(とら)の方角から「丑(うし)=角」「寅=毛皮」をイメージさせ、鬼の格好そのものになってしまったことと、鬼門という呼び方が、恐ろしさへとつながったともいわれています。
   



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